出雲の阿国によって創始された〝かぶき″。
しかし、女かぶきは風紀上の名目で幕府により禁止され、続いて登場した若衆かぶきも男色の禁によって幕府から上演禁止命令を受ける。
折りしも1657年、江戸で明暦の大火が発生。江戸の町と各座は焼失し、〝かぶき″はいよいよ存続の危機に瀕するが、そこに一人の役者が立ち上がった。その名も猿若勘三郎。
彼は幕府の弾圧から逃れるため、〝野郎歌舞伎″を創設し、時の権力と闘いながら市井の人々と力を合わせ、新たなエンターテイメントの創造へとひた走る。そして、焼け果てた隅田川の堤でついに新作を上演するに至るが―。
女かぶき、若衆かぶき、そして野郎歌舞伎へと進化を続けながら今に至る日本の伝統文化を支えたエネルギーのルーツとは…?